橋本の誕生と由来
橋本市の町を開いたとされる応其上人という人物がいました。天正元年(1573年)3月、元々武士であった応其は38歳の時に高野山へ登り、出家しました。天正13年(1585年)、伊都郡古佐田村の一部であった荒地をひらいてまちを作り、高野往還の宿所としました。そして2年後の天正15年(1587年)には旅人の便宜を図るため、紀の川に長さ130間(約236メートル)の橋を架けました。「橋本」の地名はこれによるものと伝えられています。橋は紀の川の出水のため、3年後に流失してしまいますが、橋本の地名は残り今に引き継がれています。
橋本の発展
天正15年(1587年)に応其は豊臣秀吉から、船で運んできた塩を売る塩市を開く許可を受けます。続いて文禄3年(1594年)にはその塩市に税をかけないという特別な扱いが認められました。この免税措置は江戸時代にも継承され、橋本のその後の発展につながっていきます。
農業振興との関わり
応其は、さまざまな寺社の建築・改修にたずさわる一方、引の池(高野口町応其)・岩倉池(隅田町垂井)・平谷池(南馬場)などの農業施設の充実にも力を尽くしました。これらの溜池は今も多くの耕地を潤し続けています。
現在の橋本市
高野街道と伊勢(大和)街道が交わる紀州わかやまの玄関口。世界遺産・高野山の麓に位置し、まちの中央には清流・紀の川が流れ、山河の豊かな自然を感じることができる和歌山県橋本市。
大阪都心部へ約40分という便利さと、ともすれば自給自足が成り立つほどの田舎暮らしの共存するまちです。
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