豊臣秀吉が歩いた道

高野参詣道(こうやさんけいみち)黒河道(くろこみち)

黒河道は高野七口(こうやななくち)の一つ黒河口に至る高野参詣道で、橋本市賢堂(かしこどう)から国城山(くにぎさん)東麓の明神が田和を越え、藁谷(わらんだに)から九度山町の市平で丹生川を渡り、久保から高野町の粉撞峠(こつきとうげ・子継峠)を越え、高野山内の千手院谷に入る登山道です。橋本から高野山への近道とされ、また、大和国(やまとのくに・奈良県)からの参詣客がよく利用されたことから大和口とも呼ばれました。

『高野春秋編年輯録』の天正9年(1581)の記事には「大和口」と見え、同じく正保元年(1644)の記事には「大和口又号粉撞峠口」と記載され、さらに江戸時代後期に編纂された『紀伊國名所図会』には「黒河口 或は大和口ともいふ」と記されていて、中世末期には大和口と呼ばれていたものが、江戸時代後期になって黒河道の呼称が用いられるようになったと考えられます。

道が険しいことから、多くの参詣客は黒河道の西方を並行する京大坂道を利用したようですが、黒河道は文禄3年(1594)の豊臣秀吉の高野参詣の帰途に用いたと言われ、そのルートが『紀伊続風土記』に見えます。高野山周辺では、地域の産物を高野山へ奉納する「雑事(ぞうじ)のぼり」にも利用されたとみられ、物資の輸送にも用いられたものと推定されています。

黒河道の具体的な経路については前に記す『紀伊続風土記』以外に明確な資料は見当たらず、このルートが復元されて、平成27年10月、国の史跡に指定されました。

さらに、平成28年10月、黒河道は高野参詣道の一つとして世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。

その他、黒河道については下記のリンクより橋本市のホームページをご参照ください。